『鎮守の森』を読んで

今日は仕事の資料として宮脇昭さんの『鎮守の森』を読んだ。
宮脇博士については、5年ほど前にイオンの万里の長城植樹プロジェクトを
扱ったときに、イオン環境財団の理論的指導者として名前を見たことがあったが、
その時は潜在自然植生とか混植密植とか、宮脇方式の基礎を知っただけだったので、
著書を読んだのは今回が初めて。読んでみて、これは確かに偉い人だと思った。
今回僕が初めて知ったのは、宮脇博士の自分史の部分だった。
雑草の生態という地味な分野の研究からスタートし、国内では無視されつつ、
ドイツの偉い先生に注目されて渡独。そこで先駆的な理念(潜在自然植生)と
フィールドワークの方法を学び、帰国後、その理論と方法論に基づいた実証研究を
地道に積み上げ、その延長で、従来とは全く異なる自然保護の方法論を提唱。
自らもその理論に基づく植樹活動を行いつつ、企業や自治体を動かして、
数多くの植樹や森林再生のプロジェクトを推進し、78歳の今も現役で活躍している。
なんとも羨ましい人生である。実証的知識と新しい理論に基づく科学研究を通じて
世界を改善する大衆運動を先導し、しかも自ら先頭に立ってそれを実践する。
そんな心から尊敬できる知識人に、時期こそかなり遅くなってしまったけれど、
著作を通して出会えて良かったと思う。今度僕も植樹イベントに参加してみよう。


宮脇博士のような真の偉人の仕事に触れると、自分でも何かもっと
大きな価値のある仕事をしたくなってしまう。新しい理念を提示し、
それに基づく実践を通じて影響力を及ぼし、世界を改善していく仕事。
しかしそういう仕事が果たして自分なんかに出来るだろうか?
宮脇博士の理論が最初に具体的実践として実を結んだのは1971年、
博士の講演を聞いて感銘を受けた新日鐵環境保護室長との協力によって
新日鐵大分工場で植樹活動が行なわれた時のことだそうだ。博士は1928年
生まれだから、当時43歳だった計算になる。そう考えると、自分もまだ
絶望的に遅すぎるわけでもない。しかし、もちろん、問題は年齢ではない。
この新日鐵とのプロジェクトを始めるにあたって宮脇博士は、
その新日鐵の担当者に向かって、
「私はこの仕事に命をかけている。あなたにその覚悟があるか。」
と迫ったらしい。当時宮脇博士が勤務していた横浜国大は左翼学生の巣窟。
新日鐵なんかと一緒に仕事をすれば過激派から狙われる可能性があり、
命がけとは文字通りの覚悟だったに違いない。実際は、この新日鐵との
プロジェクトの成功がきっかけとなって博士の植樹・森林再生活動は軌道に乗った。
宮脇博士が命をかけて緑のために働くことができたのは、「本当の森の再生」という
自分の理想の正しさを博士が確信していたからだろう。理想を確信するためには、
まずその理想をもって現実と格闘しなくてはならない。宮脇博士にとっては、
日本各地でその土地の潜在自然植生を探査した体験がそれに当たるだろう。
僕にとっては、自分の文体を発見する作業がそれに当たるはずだ。
自己表現のためではなく他者の認識を変える装置として機能しうる文体。
今どき誰もそんな文体探していない気配は濃厚だが、プルーストに従って、
文体とはそういうものでなければ価値はないと、私は確信していたい。
「いま木を植えるのは百年後の世界のため」と宮脇博士はおっしゃっている。
同じ気持ちで、僕も言葉の木を1本1本植えていけたらと思う。


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