ランボーの詩「おとぎ話」を読んで

昨日、ちくま書房版の『ランボー全詩集』を買った。
ランボーの日本語訳は、どの訳者のを読んでもピッタリこないが、
この宇佐美斉という人の訳はあまりクセがなくて読みやすい。
長年ランボー研究に心血を注いできた人らしいので、
語釈の面で信頼できるのも購入理由の一つであった。
初期の詩は後回しにして『イリュミナシオン』と『地獄の季節』から読んだ。
久しぶりの再読だったせいか、あるいは訳文が清新なせいか、
たぶんその両方だろうが、読み心地がとても良かった。
特にビビッと来たのは、『イリュミナシオン』収載の「おとぎ話」だった。
これはある君主(「王子」と訳される場合もある)が、本質的な欲望と
満足を求めて暴虐の限りを尽くしたあげく、「精霊」と恋に落ち、
そのまま一緒に死ぬ。死んだけれど、結局その君主は自分の宮殿で
普通の年齢でみまかった、というコント(原題もCONTE)のような詩である。
今回この詩が特に感銘深かったのは、この精霊と菅谷梨沙子のイメージが
重なったからだろう。と言うか、それに間違いない。詩の中で精霊は、

その顔立ちと立居振舞からは、多様で複雑な愛の約束が、
言語に絶する、まさに耐え難いほどの幸福の約束が、
浮かび上がっていた!

と絶賛されているが、これは要するに「超カワイイ!」ということであり、
現代で言えば、菅谷梨沙子ちゃんのことであるのは間違いない。
この詩はつまり、本質的な欲望とは精霊と恋に落ちて一緒に死ぬことだ、
と言っているのだろう。しかしまた、そういう至福の体験は、たとえ絶対君主でも、
夢の中でしか起こりえないことであると示唆してもいると思う。
これはまさに、人生の真実であろう。
僕にも、できることなら梨沙子と一緒に死にたいという願望はある。
おそらく菅谷梨沙子ファンでそういう願望と無縁な人は少ないのではないか。
面白かったのは、ちょっと前にもりちゃんとTKさんに、このヘンの感情を、
りしゃこを永久に小学生でいさせる方法はないもんですかねぇ?(笑)」
みたいに書いてメールで送ったら、2人とも「危険なコトを考えないよーに」
という意味の返事を返してきたことだ。やはり2人とも分かっているのだろう。
アイドルを愛するあまり殺してしまうファンというのは、ありそうでない話だが、
梨沙子ならそれが現実になってもなんら不思議はない。
そうなることをどこかで期待してる自分は紳士失格かも知れないが、
そんな危うい夢を見せてくれるところも、りしゃこならではの魅力である。