<新しさ>の方へ

ブログというものを初めてからほぼ半年が経った。この間、色々なブログを見て回って分かったのは、「世の中、面白い人って意外に少ない」ということであった。これは僕だけでなく多くの日本人がネットでのコミュニケーションを通じて日々感じていることではないかと思われる。
そしてその事から逆に分かるのは、自分が面白い友人に恵まれているということだ。親しく付き合ってる友人は実際以上に面白く感じられるという面もあるのかも知れないが、客観的に見ても、たぶん私の友人は面白い人が多いと言えると思う。それは偶然ではないだろう。というのは、ここ数年、人との付き合いにおいて、「面白くない人とはなるべく付き合わない」という方向付けが自分の中にハッキリあったからだ。昔は僕も、相手が多少面白みに欠ける人であっても、まじめだったり、普通に良い人であったりすれば、それなりに楽しく付き合えたものだった。しかしここ数年、特にdreamファンとの付き合いを通じて、面白くない人と付き合うのは不毛であるという意識がぐーんと高まってしまったように感じる。
面白い友人を作る最良の方法は自分が面白くあることだと信じて疑わない私は、ここ数年いろんなやり方で面白くあるための努力をしてきたつもりである。面白い友人が多いことがその努力の結果ならばそれなりに自己満足できるはずだが、実際にそうならないのは、僕が面白さに関して自分自身を高く評価していないからだろう。
かつては何よりも面白さを重視する面白原理主義者だった私も、最近は必ずしも面白さに至上の価値を認めることはできなくなってきた。面白さよりもむしろ<新しさ>により高い価値を見出す機会が多くなってきた。これがつまり、「齢をとる」ということなのだろう。あるいは「成熟する」ということなのかも知れない。加齢に伴うそうした価値観の変化を僕自身は特に歓迎しているわけでも忌避しているわけでもないが、心理的な自己作為等によってではなく、意識の自然の流れでそうなってきていると実感される以上、ここは自己の欲望に忠実に、新しいものを追い求める生き方を選ぶことが自分にとっての正解であるように思えてならない。
果たして本当にそれが正解なのかどうか、明日から様々な試行を通じて、よく考えてみたい。