「古畑任三郎」の最終回を観て

今日はいよいよ「古畑任三郎」の最終回。この番組、
三谷幸喜が嫌いなので、私はほとんど観てなかったんですが、
昨日のイチローのやつが面白かったので、今日も観てみました。
結果的には、今日も非常に面白かった。観てよかったです。
犯人が姉であることは殺害シーンの時点で誰でも見当つくし、
動機も容易に推測できちゃうわけですが、それでいてなお、
「古畑はどうやって犯人を落とすのか?」そして
「何か我々の想定外の動機が隠されているのでは?」
という疑問に引っ張られて、約2時間食い入るように観てしまいました。
途中からは自分の頭での謎解きは放棄して受動的に観てたけど、
終盤30分の展開にも、ほぼ納得できました。
推理ドラマ通の人から見たら穴もあるのかも知れませんが、
水槽=鏡というネタがちょっとズルかなと思うぐらいで、
まずまずフェアーなオチだったと私には思えました。


私が思うに、この古畑任三郎シリーズは、三谷幸喜は続けたいのに、
田村正和がもう止めたがってるために終わりになったのではないだろうか。
そうだとすると、三谷としては、自分のネタ切れで止めるわけではないことを
作品の出来だけで証明する必要があったと思われます。
その狙いは見事に達成されたと言ってよいでしょう。
もう一つ、僕はこの作品には、三谷の田村正和に対する「復讐」
という意味もあったように思います。周知の通り、田村正和には、
田村高廣という兄がいて、田村正和は長年この演技の上手い兄と
いろんな点で比較されてきたわけです。役者として決して兄を
超えられないという田村正和のコンプレックス、内面の問題でありながら、
公然の事実でもあるその劣等感を、三谷は紅葉に体現させた。
それ自体がすでに相当の嫌味だと思いますが、さらに、最後に
「人は変われる」というセリフを古畑に言わせることで、逆に、
「お前はもう変われないよ」と田村正和に引導を渡しているのではないか。
私にはそんな風に思えました。それがつまり、「復讐」ということです。
我ながら考え過ぎのような気もしますが、当を得た推測かどうかはともかく、
いろんなことを考えさせてもらえただけでも、観てよかったと思います。


こういう面白いドラマを見ると、脚本家になりたくなりますね。
嫌いな三谷幸喜の作品を観てそう思ってしまったのは悔しいけど、
今夜ばかりは三谷先生に脱帽です。 続編、期待してます。