昭和天皇の靖国神社不参拝問題について
責任は取らず不快と言う不思議
今朝の朝日新聞に載っていた川柳である。わが意を得たり、であった。
今回のメモ発見については、昭和天皇が靖国神社参拝を取りやめた理由が
A級戦犯合祀への不快感であることをはっきりさせた点で、
大きな歴史的価値があることは私も理解できる。しかし、
それによって、昭和天皇の戦争責任問題がかき消されてしまうのは
とうてい納得できない。ほとんどのメディアはこの点を無視しているが、
さすがに沖縄タイムスは社説ではっきりと言及している。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060722.html#no_1
昭和天皇が最も重い戦争責任者であったことは明白である。
にもかかわらず彼がそれを認めなかったこと、そして日本人がそれを天皇に
認めさせようとしなかったことが靖国神社問題混迷の根本的原因であると私は思う。
と言っても、昭和天皇を倫理的に非難する意図は私には毛頭ない。
おそらく敗戦の時点では昭和天皇にも引責退位のお考えはあったに違いない。
当時の昭和天皇にとって何よりも大事だったのは天皇制の維持だったはずで、
そのために自分の退位が必要なら、喜んで退位するお気持ちがあったで
あろうことは想像に難くない。しかし連合国というかアメリカは、天皇の退位が
日本の共産化に繋がりかねない点を考慮して、他の連合国の反発を押し切って、
昭和天皇の戦争責任を不問にし、その代わり天皇の側近たちに罪をかぶせた。
これがいわゆるA級戦犯である。昭和天皇は、本来なら、それら戦犯と自分は
同罪であることを自ら明言すべきであったが、実際は、天皇制を維持するためには
アメリカのでっちあげた偽の図式、つまり、昭和天皇は立憲君主として中立的で
あろうとするあまり側近の暴走に引きずられた被害者であったという図式を
受け入れる他ないと判断し、アメリカの書いたシナリオに沿って被害者を演じた。
そういうことだったろうと私は思う。そして昭和天皇のそういう判断と振舞いは、
天皇制護持という彼の至上目的が達成されたことによって正当化されうると思う。
それによって、昭和天皇に信頼されていると堅く信じていた東条英機などは、
昭和天皇に裏切られたことによって頭がおかしくなってしまったようだが、
この程度の犠牲は、天皇制を守るためには止むを得なかったことにしてもいい。
一方、A級戦犯の合祀を実行した靖国神社の松平永芳宮司の行為もまた正当である。
神道の考え方からすれば、戦犯だろうと何だろうと、国のために命を捨てた人物なら
分け隔てなく神として祀るのが当然だからだ。
死んだらみんなホトケ、死んだらみんなカミ。これが日本の宗教観念の根本である。
死後も善者と悪者を峻別するユダヤ=キリスト教的宗教観は日本人の精神風土に全く合わない。
そして、靖国神社がもともと、国民ではなく天皇が死者の魂を慰めるために
設立された神社であることを考えれば、天皇はいかなる政治的思惑も、
またいかなる個人的感情も超えて、粛々と靖国神社に参拝すべきなのである。
天皇の参拝に比べれば、首相ほか政治家の参拝などは大した問題ではない。
先の戦争で亡くなった方々は、昭和天皇のために戦って命を落としたのであり、
天皇による鎮魂を望みこそすれ、21世紀の政治家による鎮魂を期待した人など
1人もいなかったはずであるから。
結論として、私は以下の事を提言したい。
●まず昭和天皇の戦争責任を日本人が主体的に認める。
●当時の日本人全体が戦争責任者であったことも認める。
●そのうえで、今上天皇および皇族諸氏は毎年終戦記念日と例大祭に
自ら靖国神社に参拝する。(A級戦犯の分祀は必要ない。)
●このことで外国から批判されたら、感情的に反発するのではなく、
日本人の伝統的宗教観を説明し、理解が得られるまで粘り強く説得する。
事態がこういう方向に進む可能性は極めて小さいことは私も認識している。
だがこれ以外に靖国神社問題を根本的に解決する道はないと私は確信している。
暴論と響くことを承知であえて公の空間で愚見を申し述べる所以である。