前田敦子さんの涙から考える己が人生

今日はいろいろと考えさせられた一日であった。
何をきっかけに考えさせられたかと言うと、前田敦子ちゃんの誕生日だ。
正確には、昨日のあっちゃんのバースデーに関するブログを読んでだ。
fushigi48さんのブログによると、昨日のAKB48のお誕生日祝いコーナーで
あっちゃんが次のようなことを述べたらしい。

私は感情を表現するのが本当に苦手で
ぶっきらぼうに見えてしまう事もあると思うけど
皆さんに本当に感謝しています。

ようすけさんのmixi日記によると、言いながらあっちゃんは泣いたらしい。
それを見てようすけさんは感動したらしい。fushigi48さんも、
「あまり女優を目指す人の言葉とは思えないですが今日はいいでしょう。
逆に感情表現が苦手だからこそ涙は本物なのですから。」
と肯定的な反応を示している。
ようすけさんもfushigi48さんもあっちゃんのファンなので、
肯定的に反応するのはとりあえず当り前ではある。
しかし、もし僕がこの場面を見たら、どう感じたであろうか?
断定はできないが、おそらく、「ウザイなぁ・・」と感じたのではないだろうか。
僕は基本的に、感情表現の上手い人が好きである。
というよりも、芸能人なら当然感情表現が上手であるべきだと考えている。
従って、感情表現の下手な芸能人はどうしても好きになれない。
これを深刻に経験したのは、長谷部優さんのケースだった。
彼女はdream時代から感情表現が下手で、悲しい歌をニコニコ笑いながら
歌ってしまったりしていたが、芝居の仕事を始めると、その弱点はただちに
演技力の無さとして表面化してしまい、実際、見ていて痛い芝居が多かった。
そしてそういう表現者としての低能さを何度も見せられると、人間的には好きでも、
芸能人として好きでいられなくなってしまうのだ。
こういう能力主義的人間観の全てが悪いとはもちろん思わないが、
こういう見方でしか人を見れないせいで、人として大切な何かを僕は失っているのではないか。
いや、間違いなく失っている。
たとえば、昨日のあっちゃんの涙のような「本物の涙」の美しさに打たれる心を失っている。
それでいいのだろうか?
心なんか無くても、見た目のかわいさ/美しさと職業的な表現力があれば十分。
そう信じてここまで生きてきた自分だが、この先もそう信じて生きて行けるのだろうか。
答えを出すには、もう少し時間が必要なようである。

℃-uteのジレンマ

もう一つ考えさせられたことがあった。こちらはもりちゃんからのメールがきっかけ。
もりちゃんは日曜日に名古屋へハロコンを観に行ってきたのだが、メールの中で、
「今回は特に℃-uteの活躍が目立っていた」と教えてくれた。それを読んで僕は、
なぜ自分はこんなに℃-uteと疎遠なのだろうかと、改めて考えてしまった。
「かわいいと言えばかわいい」レベルの子はたくさんいても「本当にかわいい子」は
せいぜい3人しかいないAKB48と違って、℃-uteは、少なくとも4人は本当にかわいく、
しかも少なくとも1人は超かわいい、本物のアイドルグループである。つまり、
本来なら、僕もべたべたにハマっていても何ら不思議はないグループである。
しかし実際には、ハマるどころかほとんど没交渉である。
そうなった理由ははっきりしている。℃-uteがマイナー過ぎることだ。
僕は℃-uteは、Berryz工房と同じように、アップフロントの肝いりで、
華々しくメジャーデビューするものとばかり思っていた。
しかし諸般の事情から実際はそういう展開にはならず、地方のスーパーでのイベント等、
なんとなく地味な活動になってしまっている。しかもどの現場もキモヲタでいっぱいだ。
さらに悪いことには、初期のBerryz工房と違って、楽曲までB級ときている。
いくら可愛さの点では日本トップクラスと言っても、ここまでマイナーでは、
残念ながら僕としては腰が引けてしまうのも致し方ないところなのである。
昔の自分なら、かわいくてマイナーなユニットは、楽曲の質など関係なく推しの対象であった。
しかし今では、かわいくてメジャーで曲の良いユニットしか推せなくなってしまった。
そして今そんなユニットは存在しない。Berryz工房ですらもはや上記の基準では推し難い。
そう考えると、改めて、自分ももうアイドルヲタク引退の潮時なのだなぁと思う。
アイドルヲタクやめた後は、根本さんの提案どおり、在宅系宮崎あおいヲタあたりが適職だろう。
それはベリヲタ℃-uteヲタと比べて、それどころかモーヲタやAKBヲタと比べてさえ、
つまらなさそうな仕事である。しかも僕の場合、根がDDなので、おそらくあおいちゃんだけでは
満足できず、メジャーなタレントなら基本的に誰でも好きというスタンスで、テレビや映画を見たり、
写真集やDVDを買ったり、たまぁに銀座や渋谷の本屋で握手やサインをしてもらったりする、
そんな平々凡々を絵に描いたような余生を送ることになりそうである。誰だってそんな余生を
送りたくはないだろうが、僕にはもうそのへんしか道は残っていないような気がする。
これもやはり、結局は、自業自得ということになるのだろうか。。。。


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